なぜ広がったのか

1.国は注射器の使い回しの危険性を知っていました

外国では1940年代から1950年代にかけて、すでに被接種者ごとの注射器の交換が推奨されるなどしていたほか、国内文献においても注射器の針や筒の連続使用によって血清肝炎(B型肝炎)へ感染する危険性が指摘されていました。
そのため国は遅くとも予防接種法が施行された1948年(昭和23年)ころまでには、注射器の使い回しによる血清肝炎(B型肝炎)感染の危険性を認識することができました。
しかし、実際に集団予防接種の現場においては長い間注射器の針や筒の交換が徹底されることはなく、B型肝炎感染被害の拡大は放置され続けました。


2.国は注射器の使い回しを放置し続けました

ツベルクリン反応検査・BCG接種を除く予防接種での注射針については、1948年(昭和23年)年11月、厚生省告示として被接種者ごとの消毒や交換に関する通達が出されていました。
また、ツベルクリン反応検査・BCG接種の注射針についても、1949年(昭和24年)10月、厚生省告示としてアルコール綿で払しょくするだけでよいとの通達が出されましたが、翌年には被接種者ごとに取り換えるよう改正がなされました。
しかし、いずれの通達についても周知徹底がなされることはなく注射針の使い回しが継続されました。
注射筒については、1988年(昭和63年)まですべての予防接種・ツベルクリン反応検査において、消毒や交換に関する国の指導はまったく行われませんでした。
結局、集団予防接種の現場では1988年(昭和63年)まで被接種者ごとの注射器の針や筒の交換は徹底されず連続使用が放置されてきました。


3.国は注射器使い回しの実態を把握していました

国は注射器の針や筒が使い回されていたという状況について、予防接種事故報告(予防接種を減員として異常が生じた場合の報告書)により地方自治体から報告を受けていました。
例えば、1960年(昭和35年)の報告には「5ccを入れて1人1ccあて皮下注射を行い」との記載があり、注射器の使い回しをしていることが報告されていました。また、1969年(昭和44年)にも「注射針は6人に1針で接種」と報告されていました。
このように、国は注射器の針や筒が使い回されていた実態を把握していたのです。

4.国はB型肝炎感染者数45万人という甚大な被害を生じさせてしまいました

国は予防接種の安全性よりも効率性を重視し、また医療現場での危険性についての情報を集団予防接種に活かそうとしませんでした。
さらに厚生省の中でも情報が共有されず、注射器の針や筒の連続使用による危険性に対する意識がばらばらの状態でした。
その結果、集団予防接種によるB型肝炎感染者が全国に45万人も存在するという甚大な被害を生じさせてしまったのです(厚生労働省推計)。